|
午後は、雁宿(かりやど)ホールで『ごんぎつね』の映像を鑑賞。新美南吉記念館の遠山光嗣(とおやま こうじ)学芸員は「いま見てもらった『ごんぎつね』は1931年、南吉さんが18歳の頃に書いた作品です。この作品が有名になったのは、南吉さんの死後、1956年に小学4年生の国語の教科書に載ってからになります。1980年には、全ての会社の国語の教科書に載り、6000万人以上が読んでいる計算になります。南吉さんの本は、中国や韓国をはじめ、たくさんの言葉に翻訳され、世界中の人に読まれています」と解説しました。
「きりんの会」による『去年の木』の紙芝居が行われました。『去年の木』は、木が切り倒され、マッチになるという話ですが、そこには命は受け継がれるというメッセージが込められています。遠山学芸員は「南吉さんは、自分が死んだ後にも自分の作品を喜んで読んでもらえたら、自分がここに生きているのと同じなんだと思っていたようです。切り倒された木がマッチになっても、マッチが燃えてしまっても、火になって命は受け継がれる。それと同じで作品のひとつひとつが分身で、作品を読む人が増えれば、大勢の人と絆を結ぶことができる。これが南吉さんの夢だったんだと思います。いま世界中で南吉さんの本が読まれ、まさに南吉さんの夢が実現しています。」と話しました。
その後、『ひとつの火』の朗読が行われ、質問タイムになりました。
最後に今日の交流のお礼として長谷川航(はせがわ わたる 日本)さん、徐暁瑞(シュウ シャオライ 中国)さん、姜像友(カン サンウー 韓国)さんがペンとピンバッジを岩滑小学校の子どもたちに渡し、南吉さんの詩に曲をつけた「明日へ」を全員で歌い、交流会が終わりました。
雁宿ホールを出発した子どもたちは、途中、ひまわり畑で記念写真を撮影した後、バスで師崎(もろざき)港に向かい、高速船で三河湾をクルーズ。今日から最終日までの宿がある西浦海岸に行きました。
夕食後は、地元の和太鼓チーム響(どん)による演奏が行われました。「秩父屋台ばやし」「楽(らく)」「雷神太鼓」「木やり太鼓」など、汗がほとばしる激しい演奏に会場は聴き入っていました。演奏の途中には、みんなで太鼓をたたかせてもらい、盛り上がりました。
|
|
|
|