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朝9時、宿舎を出て、バスで新美南吉が生まれ育った半田市中心部に行きました。新美南吉の出身校で、大人になってから代用教員として教壇(きょうだん)
に立ったこともある半田市立岩滑(やなべ)小学校の6年生81人が、南吉ゆかりの地を案内してくれました。半田市立岩滑小学校では、普段の授業でも新美南
吉について取り上げる授業を行っており、6年生にもなると大人顔負けの知識を持っている児童もいるそうです。「今日は、同年代の日中韓の小学生に新美南吉
さんの魅力について知ってもらいたいと思っています。僕のおすすめは、生家。南吉さんの原点ですから」と、6年生の畠山一希(はたけやま かずき)さんは
話してくれました。
南吉の生家は、木造地下1階の建物に父・多蔵が営む畳屋と継母・志んの下駄屋を兼ねていました。決して大きな家とはいえないものでしたが、「狐」「小さ
い太郎の悲しみ」「いぼ」など、晩年の作品はここで書かれたそうです。子どもたちは、半田市立岩滑小学校の児童による案内を聞きながら、家の中を見学しま
した。その後、はす向かいにあり南吉が子どもの頃遊んでいたという常夜灯、毎日境内を通っていたといわれる岩滑八幡社などをまわりました。
新美南吉記念館では、彼が書いた原稿や手紙、日用品などを見ました。ごんぎつねにでてくる鉄砲のモデルや東京で下宿していた頃のアパートの再現などを見
て、岩滑小の児童に質問をしている子もいました。
雁宿ホールでは、缶バッジを作成。自分の好きなイラストを描(えが)き、たったひとつの缶バッジを作ります。新美南吉ゆかりの地を巡ってきたということ
もあり、子どもたちのほとんどは、きつねの絵にしたようです。
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